2014年3月2日日曜日

真を写す

016

カメラも勉強中。
今日撮影したスプーンは、実際のスプーンとは違って見えるので不思議です。
良く見えたり、そうでもなかったり。

言葉でモノの魅力を正確に伝えられたらそれに越したことはありません。
「みずみずしい栗の生木を薄く割り、表面を軽く削ったのち茹でて柔らかくして型で打抜き乾燥、細部を削りだして完成したスプーン」
これで、写真のスプーンを想像してもらえるでしょうか、、

写真はモノの形を伝えるのに一番手軽な手段だと思います。通販サイトが、文章で埋め尽くされていたらたぶん買いません。
しかし、量感や質感をちゃんと伝えているかというと、、

世の中、「写真の方がカワイイ。」という事も稀にあります。
撮影のテクニックが素晴らしいと思うのですが、なせ写真の方が可愛いのかも知りたいところです、、

今のところの自分の落とし所としては、写真も撮影者の創作物なのではないかと思います。光の量や当て方、撮影する角度でとても変わります。ウソではないですが、モノの見え方の一つであって、唯一無二の真実ではない。

そんなことを考えていたら3月になりました、、。
どうしたらいいでしょうか(笑)

4 件のコメント:

  1. 真実を写すと書いて『写真』と読み、また真実を写すと書いて『写実』と読む。どちらもそのモノの姿を写すことなのではありますが、似て非なるモノのように感じるのは天邪鬼でしょうか。モノ作りに携わる人ならば見えなければ仕事になりませんが、見えないことでまた見えてくるモノもあるそうです。何だか禅問答のようでもありますが、見えないモノまで見えてくるようになると、これはこれでほんまもんと呼ぶのかはたまたぱっちもんと呼ぶのか…

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  2. 同じものをみても、人によって感じ方が違ったり、見え方が違ったり、それを写真で表現すると、撮影者の意図なんかが追加されて...いくつものバイアスがかかるわけだからね。
    写真を媒介として物を見せるのは難しいですね。
    難しい!
    どうにもなりませんっ(^^;)とわたしも
    悪戦苦闘の日々です。

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  3. ゴイチさん
    これが正解だと思った線を形にしようとするのですが、その線はまたぼやけて違う形に。その繰り返しです。見ているようで、見えていないんですね。
    竹平さん
    同じものを見ても見る人で違っていたらお手上げですよ、どうすればいいんですか!(笑)
    精進したいと思います

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  4. そりゃあ、自分の気に入ったように撮るしかないんじゃないの?(笑)

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